愚の旗
人は、彼のことを神童とよんだ
小学校の先生のとけない算術の問題を、一年生の彼が即座にといてのけた。先生は自分が
白痴になりたくなかったので、彼を神童と言うことにした。
人は、彼を詩人とよんだ。
彼は、行をかえて文章をかくのを好んだからであった。
人は、彼の画を印象派だと言ってほめそやした。
彼は、モデルなしで、それにデッサンの勉強をなんにもせずに、女の画をかいていたからであった。
彼はある娘を愛した。その娘のためなら、自分はどうなってもいいと考えた。
彼はよほどのひま人であったので、そんなことでもしなければ、日がたたなかった。
ところが、みごとにふられた。彼は、ひどく腹を立てて、こんちくしょうめ、一生うらみつづけてやると考え、その娘を不幸にするためなら自分はどうなってもいいと考えた。
しかしながら、やがて、めんどうくさくなってやめた。
すべてが、めんどうくさくなって、彼はなんにもしなくなった。ニヒリストと言う看板をかかげて、
まいにち、ひるねにいそしんだ。
その看板さえあれば、公然とひるねができると考えたからであった。
彼の国が、戦争をはじめたので、彼も兵隊になった。
彼の愛国心は、決して人後におちるものではなかった。
彼は、非愛国者を人一倍にくんだ。
自分が兵隊になってから、なおさらにくんだ。
彼は、実は、国よりも、愛国と言うことばを愛した。
彼は臆病者で、敵がおそろしくてならなかった。はやく敵をなくしたいものと、敵をたおすことにやっきとなり、勲章をもらった。
彼の勲章がうつくしかったので、求婚者がおしよせ、それは門前市をなした。
彼は、そのなかから一番うつくしい女をえらんで結婚した。
私よりもいい人を…と言って、離れていったむかしの女に義理立てをした。
なにをして生きたものか、さっぱりわからなかった。なんにもせずにいると、
人から、ふぬけと言われると思って、古本屋をはじめた。
古本屋は、実に閑な商売であった。
その閑をつぶすために、彼は、哲学の本をまいにち読んだ。
哲学の方が、玉突きより面白いというだけの理由からであった。
子供ができた。
自分の子供は、自分である。自分は哲学を好む、しかるが故に、この子も哲学を好むとシロギスモスをたてた。
しかし、子供は、玉突きを好んだ。
彼は、一切無情のあきらめをもって、また、ひるねにいそしんだ。
一切無情であるが故に、彼は死んだ。
いろはにほへとちりぬるを。