君に届けこの詩 伊勢の詩人・竹内浩三生誕100年記念イベントをしたい
天性の詩人といわれる竹内浩三は、1921年に現在の伊勢市に生まれ、23歳で戦死した。その魅力を伊勢から伝えようと、生誕100年を記念してさまざまな記念事業を企画している。どうしても実現させたいイベントに応援をお願いしたい。
コレクター
99人
現在までに集まった金額
100,000円
このプロジェクトについて
大正10(1921)年、伊勢市に生まれた竹内浩三は23歳で戦死した。天性の詩人といわれるその魅力を伊勢から伝えようと、生誕100年を記念してさまざまな事業を企画している。浩三をさらに多くの人に知ってもらうため、ぜひ応援をお願いしたい。
竹内浩三はこんな人です
100年前(1921年)の5月12日、私たちの町・伊勢に、竹内浩三は生まれました。元気な人気者でマンガや詩や文章を書くのが得意でした。映画監督になりたいと日本大学専門部映画科に入学しましたが、戦争激化による兵員不足を補うため繰上げ卒業となり、兵隊になってフィリピンで戦死しました。23歳でした。
兵隊になる直前に書かれた詩「骨のうたう」は、痛烈に戦争を批判し、戦後の日本を透徹したものとして、多くの人の胸を打ち、竹内浩三は広く世に知られることとなりました。
愉快で、天真で、愛さずにはいられない若者竹内浩三。彼の遺した詩や日記、手紙などは、読む人の心にひびき、その言葉や人物について多くの人が語り、書き、歌って伝えてきました。
大学生だった竹内浩三は、戦争に行くと決まってからの4か月間、あふれるように詩や小説などを書いて、中学の仲間と発行した「伊勢文学」1号から5号に発表しました。
大学を半年間の繰上げ卒業となり、昭和17(1942)年10月三重県久居 中部第38部隊に入営しました。翌年9月西筑波飛行場へ配属されてからは、世に「筑波日記」と呼ばれる日記を書き続けます。そして昭和19(1944)12月、フィリピンに送られて戦死しました。2年後に届いた戦死の報せには遺骨も遺品もありませんでした。
竹内浩三が書き遺したものは、唯一の肉親である姉のこうの手で大切に保存され、戦後10年を経過した昭和31(1956)年、親友中井利亮の精選、編集により『愚の旗―竹内浩三作品集』として発刊されました。
さらに10年後、松阪市は戦没兵士の手紙集の発刊を計画し、広く市民に戦没兵士の手紙の募集を行います。結婚により松阪市民となった姉こうは、『愚の旗』を持参して募集に応じます。市は、本の巻頭に「骨のうたう」を掲載し、本の題名もその詩からとり『ふるさとの風やー松阪市戦没兵士の手紙集』(三一書房 1966年)として発刊します。この本により竹内浩三の名前、詩「骨のうたう」は全国に知られていきました。
その後、足立巻一、桑島玄二、たかとう匡子、西川勉、小林察、藤原良雄、稲泉連、よしだみどり、小園弥生、五月女ナオミ、劇団あめんぼ、佐々木健等々、多くの人たちにより竹内浩三が語られ、書かれ、読まれ、歌われていきました。
伊勢の地でも、2000年の伊勢青年劇場(現・劇団伊勢)の演劇「竹内浩三」や雑誌「伊勢人№158竹内浩三特集」があり、五月会、生誕祭の会、竹内浩三研究会などの活動が続いています。
この素晴らしいリレーについては、ぜひホームページをごらんください。
<ホームページへのリンク https://kozo-takeuchi.club>
竹内浩三の生誕100年記念イベントin伊勢
そのなかでも特に次のイベントへの支援を求めています
〇伊勢市の中学生に演劇「きみはいくさに征ったけれど」をみせたい!
〇記念イベント「さあ、竹内浩三を語ろう・歌おう」を成功させたい
〇青春の地、宇治山田中学校跡地に詩碑を建てて聖地として記念したい
伊勢市の中学生に演劇「きみはいくさに征ったけれど」を見せたい
劇団「秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場」は、生きづらさを抱える中高生に勇気を与えるような新たな演目を探す中、稲泉連『ぼくもいくさに征くのだけれど』中央公論社(2004)の中に「竹内浩三」を見い出します。伊勢出身の劇作家大西弘記氏脚本による、竹内浩三を現代によみがえらせた演劇「きみはいくさに征ったけれど」は、2018年、東京と伊勢の公演を成功させ、全国の高校などでの公演が行われ好評を博しています。この公演をぜひとも伊勢市の若者に鑑賞させたいと強く願って支援を求めています。
青年劇場HP
https://www.seinengekijo.co.jp/s/kimiha/kimiha.html
稲泉氏は竹内浩三が戦死した23歳になる頃に「日本の見えない」という詩に出会い、「なぜ、竹内浩三という詩人はこのような詩を書いたのだろう」との思いから、資料を調べ関係者を訪ねて、若者の率直な目でこの本をまとめあげた。関係者が亡くなっていく現在では証言録としても貴重で、竹内浩三を知るのに最適な1冊である。
記念イベント「さあ竹内浩三を語ろう・歌おう」を成功させたい
メインのイベント「さあ、竹内浩三を語ろう・歌おう」を
令和3年11月23日(火・祝日)午後2時~4時 伊勢市生涯学習センターいせトピア 多目的ホール にて行います。
第1部は、「語ろう」ということで、対談形式で竹内浩三を各自の視点から語っていただきます。現在、稲泉連氏(作家)と大西弘記氏(劇作家)を予定しています。
まだ公表できませんが、もう一人、著名な映画監督の参加の可能性があります。
第2部は、「歌おう」ということで、朗読や歌で竹内浩三に出会っていただきます。
谷篤氏の朗読と歌
宇治山田高校同窓会 合唱団 プラチナ2000
※<谷氏画像と掲載許可 必要><プラチナ2000と同窓会の説明>
竹内浩三の詩碑を建てたい
青春の地、学校跡地に詩碑を建てて聖地として記念したい
昭和9(1934)年に旧制宇治山田中学校に入学した竹内浩三は、手作りのマンガ雑誌を回覧したり、学校に内緒で映画を見に行ったり、多くの友人たちと楽しい生活を送ります。しかし彼の自由さは軍国の時代には問題視され、しばしば父親が学校に呼び出されたり、一年間柔道教師の家に身柄を預けられたりしました。笑い出すと止まらない明るい性格、ひょうきんで憎めない人柄、これらがのちの文学仲間との友情を育み、戦争の影が濃くなる中にも天真な青春時代を送ります。
中学校の大先輩に有名な小津安二郎がいます。父親の猛反対にもかかわらず、浩三は映画監督になる夢を抱き続けます。
当時の宇治山田中学校があった場所は、現在公園になっていて、小津安二郎の碑が建っています。私たちはその横に竹内浩三の碑を建てて、彼の青春と友情のスタート地点として記念したいと思っています。
竹内浩三の詩碑としては、伊勢神宮の鬼門を守る古刹、朝熊山・金剛證寺の墓地に建つ「戦死ヤアワレ」の碑が有名ですが、もうひとつ、13歳から18歳までの竹内浩三を感じることができるような碑を作りたいと願っています
その他にも多くのイベントを企画しています
20年続けてきた「生誕祭」を盛大に開催します
竹内浩三の誕生日、5月12日に毎年生誕祭を開催してきました。今年は生誕100年を記念して、5月8日に盛大に開催します。
- 5月8日(土曜) 伊勢市立小俣図書館 2階ホール
- 五月女ナオミコンサート
- 詩の朗読
- 日本大学芸術学部映画学科 廣瀬勇誠 卒業制作
- ドキュメンタリー作品 「竹内浩三」上映
五月女ナオミと小園弥生は、竹内浩三の詩に出会ってからその詩に曲をつけ、歌い続けている。2000年に2人は竹内浩三の姉、こうを松阪に訪ねて歌い、「歌を届ける旅 天性の詩人・竹内浩三を歌う」を始めた。現在、五月女ナオミは横須賀市を拠点に、全国をめぐって歌を届けている。
生誕祭のはじまりは、2000年頃、中学校教師森節子が、学校図書館での読書活動のなかで竹内浩三の詩を知り、彼に魅了されます。森節子は地元の伊勢の人たちに、もっと竹内浩三を知ってもらおうと、さまざまなイベントを行っていきましたが、2008年彼女を病魔が襲い、亡くなってしまいます。その遺志をパートナーであった岡田美代子らが引き継ぎ、「生誕祭の会」のメンバーとともに、毎年5月に生誕祭を開催しています。今年で20回となります。
竹内浩三の残した資料が見られるように取り組みます
竹内浩三の資料は、遺族の依頼によってすべて「本居宣長記念館」に大切に保存されています。しかし紙の劣化は進み、現在では一般に閲覧できる状態ではなくなっています。
竹内浩三の資料(同人誌、日記、手紙、写真等)を図書館等で閲覧できるようするため、伊勢市を中心に複製やデジタル化に取り組んでいます。これにより、多くの人が資料を目にすることができ、研究者の育成にも寄与できることになります。
<本居宣長記念館のHPへのリンクと展示会の案内>
http://www.norinagakinenkan.com/index.html
※竹内浩三の資料展示は本居宣長記念館でも開催予定です。詳細はHPでご確認ください。
「竹内浩三とその仲間展(仮称)」を開催します
さらに、共に「伊勢文学」を発行した友人たちの作品と資料の展示も行います。
市が所有する「伊勢文学」の実物展示のほか、パネル展示等により、竹内浩三と友人たちの創作活動を紹介する予定です(詳細は未定ですので、展示内容等は変更となる場合があります)。
「竹内浩三とその仲間展(仮称)」11月20日(土)~28日(日) 伊勢市立伊勢図書館
竹内浩三が生まれて育った伊勢の町を案内しますゆかりの地めぐり
竹内浩三青春の碑(宇治山田中学跡地に設置予定)を起点にして、伊勢の古い建物が今も残る河崎の町並みや、生家跡地などをめぐるツアーを行います。伊勢の町のあちこちに設置された竹内浩三の詩のパネルも見て回り、竹内浩三という自由な魂を育てた伊勢の町をご覧いただきます。伊勢の豊かな文化にも触れていただけるツアーです。
詩のパネル「宇治橋」を立てたい
前述、竹内浩三の詩パネルが市内各所に建てられています。
伊勢市立明倫小学校の門のそばには「三ツ星さん」
三重県立宇治山田高等学校の入り口辺りには「我が学校」
伊勢市立伊勢図書館の側には「よく生きてきたと思う」
生家跡地あたり、スーパー「ぎゅーとらエディース八間通店」敷地には「うどん」と「しかられて」があります。
<この詩は、竹内浩三の愛読書に書き込まれており、彼が戦死して57年経ってから見つかりました。伊勢に生まれ育った者には、20年に一度のご遷宮と、それにともない架け替えられる宇治橋の渡り始めは、とりわけ大切な行事です。これは戦争にいく直前の21歳の時書かれた詩です。>
宮沢和史は『詞人から詩人へ』(河出書房新社、2000)という詩のアンソロジーの本を出版し、その巻頭に竹内浩三の「骨のうたう」を掲載して、自ら朗読している。解説から。
「無名の天才詩人竹内浩三は、この「骨のうたう」を書いた三年後の昭和二十年にルソン島で戦死している。どんどん復興していく祖国を、遺骨という視点から見つめることによって、戦争の無意味さを描いたこの詩は、時を超えて戦争を知らない私たちの心の奥に響き渡り、骨に共鳴してくる。」
『詞人から詩人へ』(河出書房新社、2000)
1967年米国生まれ。詩人、作家、翻訳家等、多彩に活躍
『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房2007)は、自らも詩人として活躍するアーサー・ビナードが、日本の名詩を選んで英語に訳している。選ばれた詩人26人の中に竹内浩三があり「ぼくもいくさに征くのだけれど」が英訳と共に掲載されている。解説から。
ああ、なんて器の大きい接続助詞だろうー「けれど」というのは。(中略)「けれど」を最も効果的に使った映画監督の一人が、小津安二郎といえようか。(中略)「けれど」が光る詩作品として、竹内浩三の「ぼくもいくさに征くのだけれど」は傑出している。厳しい言論統制の中で書かれたものなので、「けれど」がより一層、力を発揮したかもしれない。
『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房2007)
想定されるリスクとチャレンジ 若い人たちに竹内浩三と出会ってもらいた
77年前に23歳で戦死した竹内浩三の生誕100年に、伊勢でさまざまな人が集まって記念事業を企画しました。それぞれ立場の異なる人の集まりなのですが、「この機会に竹内浩三をもっと知ってほしい」「若い人に竹内浩三を知ってもらいたい、読んでもらいたい」という思いは共通しています。
話し合って様々なイベントを企画しましたが、資金の工面ができるかどうかで実行できない事業も出てきます。
それでも、みなさんに知っていただき応援してもらうことで、竹内浩三が、詩のことばが、次の誰かの心に届きます。また、竹内浩三を知ってもらうことは、平和の大切さを感じてもらうことなのだと思っています。竹内浩三は、彼が生まれ育った伊勢は、平和が似合う町です。
最後に
たくさんのプロジェクトの中から、竹内浩三生誕100年イベントを見て下さってありがとうございます。
伊勢の地で、力を合わせて、彼、竹内浩三の愉快な笑い声が聞けるようにイベントを成功させたいと願っています。ぜひ応援をお願いします。
リターンについて
3,000円その1 <竹内浩三からのメッセージ伊勢和紙にプリントされた竹内浩三の自筆>
竹内浩三の手書きのイラストと詩(ガリ刷りも含む)各2枚、そして姉宛に出した葉書の両面を複製したもの1枚、合計5枚を、伊勢和紙にプリントしてお届けします。伊勢和紙は、神宮御用紙を奉製してきた大豐和紙工業株式会社(明治32年創立)が、伝統を守り新しいものにチェレンジして制作しています。竹内浩三からのメッセージを受け取ってください。
3,000円その2 <竹内浩三を日常的に使えるクリアファイル>
竹内浩三生誕100年記念事業のチラシをそのままクリアファイルにしました。日常的に竹内浩三を手元において使っていただけます。
表面はクリアで、裏面にこの画像がプリントされた使いやすいクリアファイルです。
5,000円 <竹内浩三のふるさと伊勢暦とポストカード>
令和4(2022)年版、伊勢講暦(カレンダー 伊勢文化舎作成)と、伊勢和紙にプリントした竹内浩三の自筆イラスト・詩のポストカード3枚とをお届けします。「伊勢講暦」は伊勢の美しい景観や伝統的な風景が楽しめるB3判、7枚つづりのカレンダー。地元在住の写真家が撮影した伊勢の四季と、古典の詩歌が組み合わされて、1年を通じて伊勢を味わうことができます。伊勢講暦は11月初旬のお届けとなりますので楽しみにお待ちください。
ポストカードは6月に先にお届けします。
伊勢文化舎HP
10,000円 <どこにもない特別な竹内浩三詩集を作りました>
竹内浩三の作品が本になったのは、1956年、姉のこうが親友の中井利亮に編集を依頼して作成した『愚の旗』が最初です。その本は私家版として200部発行しただけなので、一般に目にすることはほとんどできませんでした。それを2019年「愚の旗復刻制作委員会」と伊勢文化舎が、当時の紙質や製本、活版印刷にこだわり、見事に再現し発行しました。
今回、竹内浩三生誕100年にあたり、この復刻『愚の旗』の詩の部分だけを特別に詩集として作成しました。文字も紙も表紙も特別な詩集を、限定40部でお届けします。詩17編、〇ページ、表紙は『愚の旗』と同じ糸目入り荷造り包装紙です。
30,000円 <復刻版『愚の旗』を1冊お届けします>
今まで見ることも叶わなかった、幻の『愚の旗 竹内浩三作品集』が、2019年に復刻されて、今手にすることができるようになりました。『愚の旗』の奥付には、<限定版「愚の旗」 昭和31年1月20日発行 表紙は荷造り包装紙、本書の刊行部数は200冊>と書かれています。文字は大きめの活版印刷で、詩のタイトルは文字が赤く印刷され、目次は本文の後に置かれています。
「愚の旗復刻政策委員会」と伊勢文化舎、そして伊勢の印刷関係者の総力で出来上がった復刻版『愚の旗』には、二つの解説と年譜などが付いて、美しいカバーがかけられて箱に入っています。今回、<竹内浩三『愚の旗』通信>1号、2号も付けてお届けします。
50,000円 <あなたの本を竹内浩三の本にしてしまうコース>5セット限定
竹内浩三は本をとても大事にしたそうです。カバーをかけて、蔵書印を押して、愛情をもって扱いました。その蔵書印を蝋石に手彫りしたレプリカとして5個限定で作成し、復刻版『愚の旗』と共にお届けします。この蔵書印を押せば、あなたの本が竹内浩三蔵書となります。